《特別対談》
(立石篤申 × 一ノ瀬純)
学童野球・中学野球への褪せぬ思い
今から約10年前の東京都中学野球で、一つの時代を築いた八坂中(練馬区)野球部。
エースの佐渡俊太は日大三高-明星大を経て、現在は信濃グランセローズ所属でプロを目指す。
一方、同じ練馬区で2016年に秋季新人大会で東京一になった北原少年野球クラブ。
立石篤申監督が今も忘れがたい指導者が、かつて八坂中を率いた一ノ瀬純監督だった。
月日を経て実に6年ぶりの再会が実現して対談をおこなった。全5回を一挙掲載する。
学童・中学野球の未来をつむぐために、双方の指導者ができることは何なのか、語り合った。
【1】
忘れられない中学野球体験会
(写真:約10年前、八坂中の一員として、北原少年野球クラブからも選手を輩出した。
本文にも出てくる大村晃平は前列右から3人目。佐藤弘武は後列右から2人目)
立石 ご無沙汰しておりました。一ノ瀬先生にお世話になったウチの卒団生、もう高校を卒業しました。当時のバッテリーは進学先は分かれたんですけど、夏はそれぞれ、主将の宮本寛太(現・駿河台大学)が都立練馬高校で西東京大会ベスト16、捕手の吉田澪王が都立高島高校で東東京大会ベスト8まで行ったんです。
思えば、最後にお会いしたのが6年前の2014年2月。八坂中には2学年続けてウチの子らがお世話になっていて、その3年後の代の子らを八坂中野球部の体験会に行かせたときでした。僕は知らなかったんですけど、練馬区の各中学・各部活の体験会は前の年の10月で終わっていたんですね。ところが、10月のその日は雨だったので、僕はてっきり中止になったと思って行かなかったんです。でも、小学校を卒業する前に、今から八坂中に入りたいと思う子もいるだろうと思って、一ノ瀬先生にお願いしました。当日は他のチームもいっぱいいるだろうと思って行ってみたら、ウチの子しかいなかった! 10月は中止だと思ったんだけど、実はやってたんですね。
一ノ瀬 体育館でやっていました。
立石 ホント申し訳ありませんでした。あとで知ったのですが、その時期はもう中学に入る生徒数は決まっていたんですね。驚いたのは、北原から誰一人、八坂中に入学できないことを一ノ瀬先生は知っていながら、受け入れてくれたことです。
さらに、すごいなと思ったのは、中学の先輩がウチの子たちに教えているのを見て「お前は人間力ないなぁ」って言っていたこと。
一ノ瀬 あのころは、よく言ってましたね(笑)。
立石 ウチの6年生に教えている、あのときの中学生の教え方を見ながら、人間力ないなぁ~なんて、メチャクチャ感動しました。あのとき見せてもらった練習のメニューって、いまやってるんですよ。僕いま低学年を指導しているんで、めっちゃいいなーと思って、ソフトボールを買って、短い軽いバット買って、低学年が打てるようにってね。
--そのときの3年前、立石さんの教え子が2年続けて八坂中にお世話になったんですね。2011年あたりといえば、八坂中がいちばん強かったころと聞いています
立石 今も思い出すのが、都大会のベスト4を懸けた試合(2010年夏)。タイブレークに次ぐタイブレーク!
一ノ瀬 延長13回でしたね。あのときの対戦相手の監督さんが今週、「マツコの知らない世界」に出ていたんですよ(流木に魅せられて流木家具作家に転身した、元体育教師 高江友作さん)。
立石 見ました、見ました。あの流木の家具職人でしょ。
一ノ瀬 佐渡が2年で投げていました。立石さんから受け継いだ子たちが1年生だったときの夏で、都大会の準々決勝で駒沢球場。江戸川の東葛西と対戦したんですけど、そのときの対戦相手の監督さんが今、流木家具職人になっているなんて。延長9回までやって同点だったので、特別延長の10回から13回までの4イニング、ノーアウト満塁を4回やったんですよ。
(写真:八坂vs東葛西~駒沢球場。3時間半の激闘。延長13回 プレーオフの末敗戦)
東葛西 2-2 八坂(延長9回)
八坂 002000000 2
東葛西 000200000 2
特別延長 東葛西 9x-8 八坂
八坂 1520
東葛西 1521x
一ノ瀬 その年の秋に軟連の都大会で3位まで行ったんです。それこそ立石さんの教え子、北原出身の大村晃平、小川晶太郎たちのおかげで。あと1コ勝てば(準優勝なら)関東大会、あと2つ勝って優勝すれば静岡の全国大会に出られました。
立石 いや、僕、実は佐藤弘武(ヒロム)にビックリしたんですよ。彼は僕が初めて一軍のヘッドコーチをさせていただいたときの代でね、結構タレントが揃っていたんです。その中で、佐藤弘武は5番目くらいの選手だったんです。彼が八坂中3年の最後の大会に行って、試合を見たんです。小学校のときは石神井東中に行った選手らのほうがレベル高かったんですけど、ヒロムが数段抜いちゃってたんですよ、あれムッチャうれしくて、一塁側でヒロムのおじいちゃんと、陰から見ていたんですよ。
一ノ瀬 すごい試合だったんですね、あれも。
立石 すごい試合でしたよ。レベル上がってましたよ。
一ノ瀬 練習しましたからね。
立石 佐渡君は日大三高に行って投げましたもんね。いまは?
一ノ瀬 信濃グランセローズです。来年もやるって言ってました。期待の星なんですけど、ドラフトにはかからなかったんですね。体が小さいので。でも少しずつ横にも大きくなって、球速もマックス144くらいなんですよ。あの子って中学のときからそうなんですけど、抜いて投げるんです。ここぞって言うとき、三振取りにいくときしか全力で投げないんですよ。だからアベレージの球速でいったら、真っすぐで135くらいなんですね。プロに行くならやっぱりアベレージが140キロ台にならないと。コントロールは元々いいので、三振が取れる変化球を増やさなきゃいけないと本人も言っていました。
立石 小学校3年生くらいからクレバーな子でしたね。
一ノ瀬 でも佐渡が日大三高に行ってくれたから、佐渡にあこがれて、大村たちが、立石さんの教え子たちが入ってくれたんですね。あの子と一緒にやりたいって言って。佐渡は北原の選手(北原小、谷原小)とは小学校が違うんですけど。
立石 佐渡君は八坂小でした。八坂4・1クラブは、佐渡君のいた2~3年間はすごく強かったですね。
一ノ瀬 でも能力で言ったら、佐渡の1個上の世代が、それこそ延長13回闘った子たちがいちばん高かったんです。
立石 そうですね、横山君とかね。ウチも小学校のとき、ボッコボコ打たれましたけどね。
一ノ瀬 そのときのセカンドの子(杉本大樹)と僕、いま一緒に働いているんですよ。
立石 えーっ! マジですか?
一ノ瀬 杉本は教員採用試験に受かって、この4月からはちゃんと体育の先生として働きます。
立石 それもまた、すごい縁ですね。
一ノ瀬 横山友哉も去年(2019年)の夏に地域の小学生と合同練習会をしたとき、手伝いに来てくれました。今年から就職しますが。野球は残念ながら高校ではやらなかったんですよ、いちばん能力は高かったんですが。
(写真:2019年7月に行われた板橋区の学童チームとの合同練習会をサポートしてくれた
杉本先生(左)、横山さん(右)はいずれも八坂4・1クラブ、八坂中野球部の出身)
立石 あのときの八坂中もタレントが揃っていましたね。
一ノ瀬 実は私が八坂に行ったときは、野球部が休部していたんです。地域で八坂中に入ってくれる子どもの親たちに、何とか野球部を見てくれる先生を呼んでくれと言われて、校長が私を呼んだんです。実は私はそのとき、高校を希望していたんですが、中学に呼ばれて。でも野球部は休部している状態。何人か部員はいたんですけど、半年間活動していなかったんです。から。校長にやってくれって言われたけど、「一生懸命やったら、この子たちはみんな(厳しいからと)やめちゃうから、逆に一生懸命やんなくていいよ」と言われて始めたんですね。
--そのころの八坂中は、いわゆる荒れていたんですか?
一ノ瀬 荒れていたというより、だらしない子たちだったんですね。家庭環境も厳しくて。でも新入生で野球部に入ってきた子の親御さんには「八坂4・1クラブの子たちで頑張るので応援したい、先生頑張ってやってください」って言われて始めたんです。で、頑張ってやっていたら翌年に横山、杉本たち10人くらいの子たちが入ってくれた。いい子たちだったんですよ、すごく。明るくて、花のある子たちだった。一緒にやっていて、すごく楽しい子たちで。その子らの背中を見て、「一緒にやりたい」って言って佐渡も入ってきた。佐渡なんか本当に引く手あまたで、いろんなシニアから声がかかって、そっちの体験にも行っていたんですよ。佐渡の代の4・1クラブからは5人入ったんですけど、1月から3月は4・1クラブでの活動もないから、他の5人は結構八坂中の練習に来ていたんです。佐渡は来ないだろうなと思っていたんですが、最後の最後で1個上の横山たちと一緒に野球がやりたいって入ってきたんですね。
立石 横山君はキャッチャーをやっていましたね。
一ノ瀬 横山と一緒にやりたいと佐渡が八坂中に来て、そして佐渡と一緒にやりたいって、八坂小と全然違う小学校からだけど、八坂中野球部に入ってきた子らもいます。北原小から入った大村はお母さんが熱心な人で、一生懸命教えてくれる中学校を探していたんですね。通学に歩いてちょっとかかるけど、この八坂がいいんじゃないかって体験に来て。そうしたら入学してもいいって。あの方(大村母)の影響力があったので、小川、喜早(凌也)と大村の3人が立石さんのところから入ってきたんですよ。
立石 忘れもしない。あのときね、谷原中がほぼ休部状態だったので、もう北原の学区から進めるのは石神井東中しかないと思ったんです。石東中に当時、吉崎さんという監督がいまして。大村と同期でウチのチームの6年生に、佐藤魁星というこんな体のでっかい子がいたんです。谷原中のグラウンドでウチが練習していたんですが、そこに来た吉崎さんは佐藤魁星ばっかり観ていたんですね。大村と小川らのお母さん方は面白くないって思って、石東中に行こうと思っていたお母さん方が、最終的に八坂中に行きますってなったんです。僕は谷原中の体育館の前で話していたのを横で聞いていたんですが。
あのときの谷原中は部活もあまり活発じゃなくて、グラウンドは、ウチなどの小学生のチームが土日祝祭日、使い放題だったんです。今は部活も一生懸命やるようになって、僕らも中学がテストで部活が休みの期間だけ使わせてもらっていますが。
--一ノ瀬先生は八坂中に何年いたんですか
一ノ瀬 8年間いました。本当は、教員は一つの学校に6年間しかいられないんですが。いちばん初めの初任校が八坂中だったんですが、もともとは高校で教えたいという希望があったんです。最初は3年生の副担任として入って、その翌年に入学してきた横山、杉本の代の担任をもったんです。1年、2年、3年と担任して彼らが卒業して、あわせて4年間八坂中にいたら私異動しようと思っていたんです。でも、校長からはどうするの? って聞かれていました。そこで異動したら佐渡たちの代の面倒も最後まで見られなくなってしまうから。
立石 良かった、良かった、だから佐藤弘武たちも見てもらえたんですね。
一ノ瀬 当時は、私を信頼して入学してきてくれる子たちが少しずつ増えてきたころでした。北原小・谷原小もそうだし、橋戸小・豊渓小の頑張っている子たちともだんだん信頼関係ができてきたんです。八坂小じゃない子たちも30分くらい歩けば八坂中に通ってこられるということで、一生懸命野球やりたい子たちが集まってきたんです。私は初め高校野球がやりたくてしょうがなかったんですけど、横山や佐渡たちのおかげで、中学の野球が楽しくてしょうがなくなったんです。あ、中学ってこんなにやりがいがあるんだ、と思ったら、今ここをなげうって高校に行くという選択肢はないなと思いまして、校長にお願いしたんです。そうしたら、佐渡、横山の代を見たいなら、男手の教員が足りないと言うこともあり、「一ノ瀬先生は厳しいから、3年生をちょっとだけ締めてください」と言われたので、もう一回3年生を見ることになったんです。だから3年生のときの佐渡の担任をして、彼らが卒業したあとに今度は1年生を担任することになったんです。それもあって、ヒロムたちも最後まで。
立石 ありがとうございます。
(写真:八坂中から日大三高に進んで、野球部期待のサウスポーとなった佐渡俊太投手。
後輩の野球部員たちが神宮球場の試合に応援に駆けつけた)
--佐渡君の3年の担任をやったということは、彼の進路まで面倒を見たんですね
一ノ瀬 そうなんです。学校事情もあるんですが、私は他の先生方から見ても、野球をやっているせいか、たぶん厳しい先生だと思われたので。だから、みんな一目置いているわけです。クラスとかで厳しいこと言わなくても、グラウンドでガンガンやっているのを見ると、子どもたちはやっぱり教室でもビシッとなるんですよ。
立石 林(陽佑) 君のお父さんとは、今もよく飲むんですよ。それと、谷津君のお父さんも!
--谷津君って、サイドスローの投手でしたね
一ノ瀬 谷津龍汰はその後東北高校に行って、2年生の秋には背番号1を背負って、投げさせてもらいました(卒業後は創価大学)。やんちゃ坊主なんですけど。
佐渡の担任をもてたおかげで、最後の3学年には懸けていました。春は駿台学園中と都大会の準々決勝、その後ヤクルトに入った清水(昇)君と延長11回を投げ合ったんです。本当にあと一歩で都大会の頂点を目指せたのに…。でも、最後の夏は僕がうまく指導できなくて、練馬区の準決勝で石神井中に延長で負けてしまって。6月末から7月の初めだと思いますが、佐渡の代の中学最後の夏は早めに終わりました。ガックリきましたね。
--それが2011年の夏だったんですね
一ノ瀬 佐渡にはその後、7月の初めに三者面談をやりました。進路はどうする? という話をしました。その時点で12校くらいの高校がスカウトに来てくれたんです。佐渡はとりあえず文武両道でやりたいということで、日大三高と、あと声はかかっていなかったんですが、立教新座、国学院久我山。この3つのなかから考えます、と言うことでした。立教新座は中学に軟式野球部がある関係で、その流れで話をしたら、一度体験に来てくれということで、林さんの息子と二人で行きました。ただ、立教は六大学系の学校なので、早稲田、慶應もそうなんですけど「絶対取る」という約束ができないんですよ。なので勉強は数字、野球では大会の成績(都大会優勝とか、関東大会出場とか)の点数を重ねて、それに加えて面接をして合格を決めると言うことでした。
――佐渡君は結局、日大三高に行くことになりましたが
一ノ瀬 実は、その年の2月にひょんなことから、日大三高に私が行っていたんですよ。その前の秋に都大会に出たとき、日大三中の松本先生、いまは教頭先生なんですけど、名刺交換していたんです。いろんな方から八坂中の話を聞いていて、松本先生から私のところに連絡が来たんです。2月に日大三高に来て練習試合をしてくれないかと。私はわかりましたって言ったんですが、その日は大雪だったんです。「中止ですよね」という話を電話でしたんですけど、とにかく学校に来てもらえませんかと。試合はできないんだけど、日大三高の室内練習場を借りられるので、そこで、日大三中対八坂中で、ピッチャー対バッターの対戦形式の合同練習をさせてもらえないかと。そこでピンと来たんですよ、ああ佐渡を見たいんだなと。で、お邪魔したら、高山俊(阪神)君とか吉永健太朗(早稲田大-JR東日本)君とか横尾俊建(日本ハム)君とかがセッティングしてくれた。ネットやラインを全部引いてくれていて、どうぞ、と言われて。佐渡が投げ始めたら、小倉全由監督と三木有造部長が僕のところに来て。小倉先生なんか、都立高校出身の僕なんかから見たら憧れの存在です。私立に行きたくても行けなかったから。小倉先生と同じ空間にいるだけでも、舞い上がるような感じだったんですけど。小倉先生に「先生!」って言われて、「ぜひ佐渡君に来てほしい」と言われたのが2月のことでした。でも、僕はそのとき、どこまで本気にしていいのかわからなくて、「ありがとうございます」で終わっていたんです。
--日大三高は中学の硬式クラブだけではなく、軟式の野球部からも選手を獲っていたんですか
一ノ瀬 その年、佐渡と同学年で青戸中の関根直樹(日大三-敬愛大)君というキャッチャーも、日大三高に行きたいという話になっていたんです。青戸中と日大三高はもともとパイプがあったんですね。青戸中は中体連春の都大会で優勝したんですが、その優勝チームは夏の高校野球東京都大会の開会式で始球式をやるんですよ。青戸中の監督も開会式に行ったんですが、そのとき青戸中の和田先生が、日大三高の三木部長に「そういえば、八坂中の佐渡君ってウチに来てくれるの?」と聞かれたんです。和田先生から私に「それって大丈夫なの?」という話が来たので、そのとき初めて「あ、これは本気にしていいんだ」ということがわかったんです。それが7月の頭だったんですね。
立石さんの教え子の大村たちも含めて、日大三高の室内練習場でやらせてもらったんですよ。高山、横尾というその後プロに行くような選手たちと同じ空間で練習をさせてもらったわけです。
【2】
上の世代が下を教えることでつながる
(写真:一ノ瀬純先生は自身がピッチャー出身ということもあり、選手の投げ方には入念な指導を徹底する。それは、もちろん練習試合相手チームの選手であっても)
立石 大村晃平(元・八坂中野球部)は北原少年野球クラブに小学1年生から入ってきた子なんですよ。ちっちゃーい子だったけど野球のセンスはあって。いまも、たまにチームに遊びに来るんですよ。この間もね、久しぶりに来たんですけど、顔わかんなかったですね。結構背デカくなって。いまは明治大学に行ってるんです。ちょっと見たらスライダー投げてましたよ。北原のときはキャッチャーでしたが、守備がうまいんで、練馬の選抜チームではセカンドとかも器用にやってました。でも、一ノ瀬先生は八坂中で、中3のときにピッチャーをやらせたのでビックリしました。
一ノ瀬 佐渡の代は都大会ベスト4が最高でしたけど、大村の代は練馬区準優勝で都大会出場でしたね。この間、近藤さんに話したんですが、いい選手にはキャッチャーをやらせることでうまくなれるというのが僕の持論です。それは大村にピッチャーをやらせたという話にもつながっています。
小学校時代にキャッチャーをやっていると、捕ってから投げるまでの動きがコンパクトなんですよ。コンパクトな腕の動きができると、どこのポジションをやらせても上手なんですね。大きい腕の振りをしちゃうと、やっぱり余計な動きがあったりするんです。大きくても腕を上手に使えればピッチャーにはなれるんですけど、上手に使えない子は癖がついちゃって、ピッチャーをやっても、いい投げ方ができないし、守備のスローイングも上手じゃない感じになるんです。でも、小学校時代にキャッチャーをやっている子たちというのは、投げ方にあんまり癖がない、いろんなポジションをやれる投げ方になっています。そういう子は、伸びるというか、いろんなポジションができるし、いい選手が多いなと思いました。今の時代、中学生から野球を始める子もいたりして、初心者の子たちでもうまくするには、キャッチャーの動きを中学生からでもやらせるというのは大事だなあというのはすごく感じました。それも、私が小学校の指導者の方から学んだことによるものです。
--僕が初めて一ノ瀬先生にお会いしたときも、他の中学校の選手たちを相手に投げ方の指導をしておられたんです(上記の写真)
立石 フェイスブックで見ました。
一ノ瀬 キャッチボールメニューは本当に細かいんですけど、最後に必ず3人組になってやるメニューがあるんです。ピッチャーがクイックで投げる、キャッチャーは捕ってすぐにセカンドに送球します。正規の38メートルの距離(捕手・二塁ベース間)じゃなくて、塁間の27メートルくらいをキャッチボールで投げさせるんですけど。そのキャッチャーが投げたのをショート、セカンドがイメージをもって横から入ってきて、捕ってタッチするというメニューです。そこでは、やっぱり小学校時代にキャッチャーをやっていた子たちのセンスの良さがあらわれます。そういう投げ方の良さを中学の子たちにも身につけてもらいたい。
中学の子たちって、高校生と違って、あるとき突然うまくなるんですよ。形も変わるんですよ、クセがあっても。だから、これをやったら3年間で良くなるという信念が僕の中にあって。そのためにキャッチボールメニューをやらせる、みんなにキャッチャーの練習をやらせるんです。
(写真:試合ではピッチャー以上の球数を投げるキャッチャーに対しても、
同じようにケアしてあげなければならない。北原では捕手もたくさん育てている)
立石 近藤さんも取材で見られているように、学童野球でもキャッチャーが今いちばん大事ですよね。ピッチャーには球数制限というのが採用されましたけど、昔はエースで四番が当たり前ですよね。ここ何年かくらいから、ピッチャーしかできないという子が増えているんです。守備できない、打てない、投げるしかないという子が多いんですよ。
そう考えると、ショートの子がいざ困ったときにピッチャー、そしてショートの子がまたキャッチャーもできるようにならないといけない。球数制限があって、いろんなチームがピッチャーを急遽増やそうとしているんですけど、実を言うとキャッチャーを3枚つくらないと、もう練習にもならないんですよ。数をこなせられないですよ。キャッチャーがいちばん球数を投げてますやん!
--キャッチャーは1試合で代わらないこともありますし。ピッチャーに返球する、一塁にけん制する、走られたら二塁に送球もするから。たしかに、ピッチャー以上に投げていますね
立石 バッテリーが1試合で互いにポジション交代する場合もあるじゃないですか。中学でもそうでしょうが、学童でも結構あります。すると何のための球数制限なの? って。本末転倒みたいなところがあると思う。
--そういったら、野手の送球する球数も含めて考えなきゃ。ピッチャーのけん制の数も多いわけですから
立石 ブルペンで投げてる数も大きいと思いますけどね。キャッチャーがある意味、そういうところでフォローされていない。僕も高学年の監督やっていた経験から、いまはキャッチャーを3枚つくろうとしているんです。でも、低学年の練習試合なんかでは、経験の少ない子を投げさせたりしますけどね。ピッチャーやると、うれしい子もいますよ。帰りの車の中で「僕今日ストライク取ったよ!」ってメッチャ喜んでたりしますから。
僕らからしたら、卒団生を一ノ瀬先生みたいな中学の指導者にバトンタッチしたいんですよ。佐藤弘武みたいに、中学で花開いたりした例も考えると。あいつもね、最近は北原の練習を見に来るんですよ。サポートもしてくれます。弟もいますしね。
一ノ瀬 ヒロムも練馬高校で背番号1を背負いましたものね。
立石 今度ウチに教えに来てくれません? お迎えに行きますから。本当に僕ね、6年前のあのときの練習風景、ランダウンプレーとかキャッチボールが忘れられないんですよ、ホンマに。
(写真:2019年7月に行われた板橋区の学童チームとの合同練習会。
上板橋一中の野球部員は少ない人数だが、お兄さんとして小学生を優しく指導していた)
一ノ瀬 僕はね、さっき(第1回参照)も言っていたように、子どもに教えさせるということが大事だと思うんです。私は普段から中学生を教えていて、体験会のときはもちろん小学生にも話しかけますけど、体験会では中学生に小学生を教えさせるんです。あのときの八坂がすごくいい循環になっていたというのは、やっぱり、そこにいる中学生の魅力なんですよね。小学生の子たちが中学校に上がったときに、僕も野球部に入りたいなと思ってもらえる。そう思わせるような態度を中学生たちは取れているのかっていう、そこに「人間力」という言葉を使ったと思うんですけど。
初めて体験に来て、小学生たちは戸惑ってるわけじゃないですか。右往左往しているところを安心させてあげなよと。あっ、このお兄ちゃん優しいな、このお兄ちゃんと一緒に野球やりたいなと思える、そういう振る舞いがお前らにはできているのか? というのをすごく言いました。あいつらにとっても、すごくいい機会なんです。なかなか人に教えるという機会はないんだけれど、僕が普段ああじゃない、こうじゃないとうるさく言ってることを、あいつらは自分たちが教えられる機会を見つけて、えらそうに教えている。意外とホントわかってるんですよ。僕が言いたいことを小学生に優しく、本当に優しく、「いいお兄ちゃん」になって教えてるんですよ。
八坂中に来ている野球部の生徒って、結構“やんちゃな奴ら”なんですが、そいつらが3年間で“いい奴ら”になってくるんですよ。3年間で本当にいいお兄ちゃんになって、後輩たちに慕われて、後輩たちの面倒見が良くなっていく。それには小学生の体験会も含めて、後輩たちにどう接していくか。明治大学は上級生がトイレを掃除するっていう話があるじゃないですか。僕もそういうタイプなんです。
--下級生にやらせるんじゃなく、上級生がやることによって
一ノ瀬 いろんな考え方があって、下級生は仕事を覚えなきゃいけないんだから、いちばん働きなさいっていう方もいると思うし。
立石 昔は大体みんなそうですね。
一ノ瀬 僕なんか体育会系出身でもないし、体育の教員でもないので、そういう上意下達っていうか、ハイ、イエス、喜んでやりますというのがちょっとイヤなタイプ。
立石 カラスは白いとか(笑)。
一ノ瀬 いちばん苦労するのは上級生だよっていう話をしているから、小学生の体験をやり始めたとき、正直初めはそんなに前向きじゃなかったんです。八坂4・1クラブに体験やりましょうって言っても、「シニアの体験にも行っているから、たぶん来年は2、3人しか行きませんから」みたいなことを言われるんです。でも結局は来るんですけど。僕は公立中学、都立高校上がりの人間で、私立のように選手を獲ってくるという感覚は全然なくて。とくに地域の中学、八坂中だったら八坂中の周りの小学生で野球がやりたいと思っている子たちがいたら、八坂中に行けば野球部で野球ができるという環境を地域で整えたいなと思ってやっているんですね。
--学区は決まっているんですか?
一ノ瀬 いちおう。でも、実際は練馬区内だったらどこの中学を選んでもいいんです。ただ通う気があるかどうか。本当は立石さんの学区からウチの学校に通うには厳しいわけですけど。八坂中に行きたいです、という子がいて八坂中の枠にまだ空きがあれば、定員が満杯じゃなければ入れますよ、ということです。今でも、そんな感じだと思います。
立石 八坂中って練馬区にあるんですけれど、和光市(埼玉)に近いんですよ。近くをちっちゃい川が流れていて、その向こうは和光市なんですよ。たとえばですよ、江古田とか、練馬とか大きな駅に近いところの大きな中学校だったらね、八坂中の野球部はもっと良くなると思いました。佐藤弘武なんか、北原では正直5番目くらいだったのに、中3のときに、なんと! 有名な強豪私立高校から誘いが来てたんですよ。一ノ瀬さんがそこまでレベルアップしてくれたんですよ。どこで誰が見ているか、ホントびっくりしますよね。
一ノ瀬 あの当時は八坂中も野球部員がちょっとずつ減ってきていて。それこそ、立石さんのところから大村とか、いい選手がいっぱい来てくれたときは各学年で10人いたんですよ。でも、その下の代から8人、7人、6人、5人とちょっとずつ減っていって。でも八坂中野球部の実績としては、どんどん上がってきていたところでした。それまでは、北原少年野球クラブさんの谷原小や北原小、他にも橋戸小、豊渓小からも来ていました。目の前の八坂小学校だけでなく、他の小学校のチームからも「あそこに行ったら野球でいい思いができるんじゃないか」っていう信頼の声を少しずついただいていました。だから、そこに価値があるんじゃないかって思ったんですよ。
正直僕は勝ちたいから、一回の練習もムダにしたくないんですよ。本当に僕は、分刻みで練習メニューを立てるので。だから、小学生と練習するということは、小学生の面倒も見なきゃならないから、「勝つ」ということを考えると初めは「いやだな」という思いがあったんですね、まだ若かったから。でも、自分が八坂中にいられる年数も考えて、そのうちにいなくなるということも考えなきゃならない。だんだん地域から信頼が集まってきていることも考えたら、やっぱりつながっていくことが大事じゃないかなって。勝つことも大事だけど、むしろ「つながる」ことが「勝つことにつながる」んじゃないかなと気づき始めたんですよ。だから1分1秒の中学生の練習を大事にすることはもちろん、小学生と一緒に練習することだって未来にもつながるし。中学生が小学生を教えることで、実は自分もすごくうまくなったりすることがあるんです。人間力じゃないですけれど。ただプレーするだけじゃなく、しゃべる力であったりとか、教える力であったりとか、そういう力がつくということに、僕も少しずつ気づいていったんです。
--すごく大事ですよね。中学生が大人になる階段を上るためにも
立石 本当にね、ですから6年前のあの光景は本当に忘れられないですよ。中学のお兄さんたちがすごい一生懸命、ランダウンプレーなんかをね、もう感動しましたよ。一ノ瀬先生も若かったじゃないですか。それなのに、こんなに一生懸命教えてくれはるって。めちゃめちゃ刺激になって。
一ノ瀬 立石さんに頼まれたときも、ウチには来ないとわかっていても、私は「一緒に練習やりましょう」と。そのときは、そういう感覚だったんですよ。
立石 そうですよね、良かった。数年前だったら…。
一ノ瀬 もっと殺伐としていたかもしれない(笑)。
立石 何、いまごろって(笑)。その電話を入れたのが和光と練馬の間にある「Aoki」の駐車場から電話したんですよ。そうしたら、速攻で「いいですよ」と言ってくれて「ありがとうございます!」。あとになって、「体験会は終わってました」「もう中学の締め切りは終わってます」、そして「八坂中に来れないことも知ってました」て言われて、マジですか~? それでも教えていただいて、もう正直感動もんでした。
一ノ瀬 本当ですか。僕もちょっとは成長していたんですね(笑)。
【3】
野球が好きだから学校生活も頑張れる
(写真:北原少年野球クラブを2014年に卒団したOBが地元の親子野球大会に出場した2020年1月。中央の宮本選手、左端の吉田選手は卒業前に八坂中で一ノ瀬先生の指導を受けていた)
立石 それにしても、6年前(2014年2月)に一ノ瀬先生に八坂中で練習を見ていただいた、北原の選手らがいまや高3にまで成長して、もうちょっとで卒業しようとしているんですから。いやいやいや、感慨深いですね(取材時は2020年1月)。
一ノ瀬 でも、その子たちが八坂中に入ってきても、私は1年しか面倒見られなかったんですね(2015年度から町田南中に転任)。
立石 結局そうなんですね。中学校に素晴らしい監督さんがいらっしゃる、だから野球部に入れたい。でも、この先生の在籍年数を見たら、「これ(近いうちに)転勤あるよ」って、お母さんお父さんは思うんですよ。そうすると、本当は野球部に入れたいんだけど、指導者が変わらないクラブチームを選んじゃう。難しいですね。
一ノ瀬 僕らは教員なので、部活動によって「異動する・しない」は決められないんです。そこは中学校の難しいところですね。でも、高校のほうはある程度融通が利くんです。
立石 そうなんですか。
一ノ瀬 いまは都立高校もある程度、スポーツ推薦を取っているところがあります。文化・スポーツ推薦と言って、都立高校でも3人とか4人とか推薦を取れる制度があって、そこには、ちゃんと専門の指導ができる指導者が回るようになっているんです。でも中学にはそれがほぼないので。
立石 これがもったいないですね。
一ノ瀬 そうなんです。去年、私は(上板橋一中で)陸上部を持っていますし。
立石 もったいなさ過ぎるんですね。谷原中の野球部の監督も、柔道の世界選手権にまで行った人ですよ。そういう人が今野球部を教えているんです。一生懸命子どもたちとブラジリアン体操をやってますけど。
--僕の知っている中学野球の先生も柔道出身で、でも野球部を教え始めてから、野球の魅力にハマって、あらゆる講演会に行って勉強したりして、もう何十年も続けている人(松川武先生=コラムVol.013参照)がいるんです。中学には経験がなくても、熱心な先生は多いです
立石 一ノ瀬先生のような、子どもたちのために一生懸命やってくれる人に教えてほしいんです。いまね、小学校を卒業しても中体連側の受け皿がないことが大きいと思うんですよ。昔もいまも、体が小さかったりで、中学の硬式ではやれない事情の子もたくさんいます。そのとき中体連が受け皿になって(希望にかなう中学校を推薦して)くれたら、そういう子たちも野球部に入ろうとする。今は野球部に入りたいと思っても、顧問に全然違う競技の経験をしている人もいるから、親からすると預けて大丈夫なのか迷うんですよね。本当にこのチームで3年間やっていっていいの? 硬式はもう締め切りが迫っていて無理だし、ということろで親はムチャクチャさまようんですよ。クラブチームもいいですけど、部活動には部活動の良さがあるんですよね。
(写真:中学部活動の良い点は学校内の評価が自信につながること。野球だけでなく学校生活でも頑張ろうという気持ちになる。2010年の八坂中野球部は東京都3位の成績を練馬区から表彰された)
一ノ瀬 本当にすごいですよ、部活動の3年間で彼らの成長というのは。今日はいろいろ話をしたいと思って、資料などを持ってきたんですよ。
立石 もう一晩話してもいいと思って(笑)。明日にでもグラウンドに来てくださいよ。
--体験会だけでなく、普段の活動でも交流できたらいいですよね
立石 これ(資料を見ながら)、先ほど言っていたナインカップ? おおー。見たことある中学校がいっぱいいますね。牛込(ベースボールクラブ)さんも出てはるんですか、へぇー。
一ノ瀬 先週、上一色中に行ってきまして。前田健さんという動作指導を教えるトレーナーの方はご存じですか。ベースボールクリニックでも連載されていた方なんですが、中学野球の勉強会に来ていたんですよ。上一色の西尾弘幸先生がすごい方でして。高校野球の小山台の先生も来たことがあります。
いま、上板橋一中は合同チームでやっていて、試合の監督は向こう(桜川中)にやってもらっているんです。ウチは先々週まで部員が2人しかいなかったのが、いまは4人に増えました。もともとは5人いたんですよ。1人は完全な不登校で、2人はだらしなくて、野球部に全然来なかったんです。僕、ほっといたんですよ。彼らは、僕が怒っているものと思っているから、言いに来れなかったんですが、1人は5カ月ぶり、もう1人は3カ月ぶりくらいに、2人で勇気を持って僕のところに来て「野球やらせてください」って。
立石 ほー、うれしいですね。
--5カ月ぶりって、2019年の夏の学童チームとの合同練習以来?
一ノ瀬 あれ以来です。でも残りの2人はずーっと休まずに頑張っていたから。「どうする? 彼らは戻りたいって言っているけど」と言ったら、2人は寂しいんで「だらしないあいつらだけど一緒にやりたい」って言ってくれて。
立石 ああー、いいですねー!
一ノ瀬 じゃあ、4人でやろうっていうことに最近からなって。それで今日は進路が決まった3年生の部員が2人、卒業生の高校生が2人来て、合計8人で外野ノック、内野ノックやりました。超活気あって、久々に野球やってきたので、僕もちょっとマメができました。
立石 ハハハ! でも、うれしいですよね。
一ノ瀬 いや、でも本当に、今は今のレベルで、もちろん都大会を目指すとかそういう話にはなりませんけど、でも、あいつらのなかでは、サボっていたのに、勇気持って、ゴメンナサイ、やらせてくださいって言いに来たことが私にはうれしいんです。そのあと休まずに、今も一生懸命声出してやっているんですよ。お前らのレベルは、今はそれでいいんだよ、そこから一歩ずつという感じでやっているんですよ。
--よく、でも本当に勇気をもってね。どうしようかな? 許してもらえないかな、などと考えていたんでしょうね。
一ノ瀬 本当にダメなんですよ。理解力もないし、力不足だねと言われて、傷ついて終わりなんですよ。叱っても効果ないから。ちゃんと言い聞かせるとか、たくさん褒めてあげるとか。今までたくさん、いろんな人に叱られたり、ダメだなといわれ続けていたら、何も自信がないですよ。だから、戻ってきただけでもOKだ。ゴメンナサイって言えただけでもOKだと。そこから…。それでいいんだよと。宿題も何もできないんですよ。朝も遅刻するし。遅刻してゴメンナサイ、宿題も何もできていませんとか。放課後少し残ってやってきますって言えたらOKだと。今そういうレベルで、できないならできるようにしてあげないといけないし。でも野球頑張りたいから宿題終わらせてきますと言ったりするんですよ。その子のレベルとしては、今はそれでいい。決して高いレベルではないけれど。でも、そこを言えるようになることが中学の部活動のいいところかなと。
(写真:1チームも組めない少人数の上板橋一中野球部。練習に出ていけない日々を送りつつも、どこかで「野球やりたいです」と言いたかった。勇気をもって、また仲間に入れてほしいと申し出てきたチームメートたちを古川キャプテン=右は快く受け入れた。その小さな勇気も成長の一歩なのだ)
--生活がだらしなかった子でも、部活動で野球をやることで変わっていくことがあるんですね
一ノ瀬 すごくあります。自分も好きだからわかるんですけど、野球が好きだから、学校の中で頑張れることがある。みんなから、他の同級生から、頑張ってるねって声をかけられる。それが自信になるんですね。学校の中で部活動をやっているっていうのは、そういう効果があるんじゃないか。野球部のだれだれ先輩は、なんとか委員会に入っていたから、僕もなんとか委員会に入るとか。委員会に入れば、学校や学級の仕事をいろいろするじゃないですか。学校や学級の仕事をすると、クラスの子たちから感謝される。先生から褒められるっていうことを経験して、いつのまにか人間的にもすごく成長しているし、なんか魅力ある子どもになっているんですね。
それがクラブチーム所属だと、野球は学校の外でやっているから、学校での活躍の場に結びつかなかったりとか。クラブチームの子だと学校の中では遠慮していたりとか。
--外で野球をしている子たちの活躍はわからないけど、学校の部活動の野球で活躍していると目立ちますよね
一ノ瀬 そこが部活のいいところかなと。もちろんクラブチームで活躍して、いい高校に行く子たちもたくさんいるし、それはそれで全然いいんだけど。さっき立石さんも言っていたように、中学で野球をやりたくても、クラブチームでやれるレベルじゃなかったり、そこに行く勇気がなかったりで躊躇する子もいるんです。クラブチームはお金もかかるし、送り迎えとかで親御さんの負担も大きい。そこまでの手間はかけられないけど一生懸命やりたいという子や親御さんにとって、受け皿になれるような環境が、そのときの八坂中や、次に行った町田南中にはあったのかなと。そういう役割は部活にはありますね。
立石 一ノ瀬先生のように、人間力を上げていくような指導は、土日だけでは難しいですよね。
一ノ瀬 僕は土日だけで指導できる自信はないです。でも、小学校の監督さんたちとかは、やっておられるわけじゃないですか。そういう難しさというのはないんですか?
立石 そうですね。小学校のなかでも土日以外の日に練習できる環境のチームも、もちろんあります。でも練馬区ってナイター設備があるわけではないですし、この学校の子はこのチームというのが決められていますから。この子らをどうやって、たとえば深井(利彦)さんのところの不動パイレーツ(目黒区)とかと戦って勝てるようにするか。僕も3年間Aチームの監督をやっていて、常に考えていました。6年前のあのときに一ノ瀬先生に教えてもらったじゃないですか。あの後、僕はすぐに低学年チームに下りて、そのとき1年生・2年生・3年生と育てていった子らが、だんだん東京中のチームとやって、勝てるようになってきたんです。
でも、勝つことも大事ですが、子どもには野球を嫌いになってほしくないですね。勝ちにこだわるだけになっちゃったら、ハードルが上がっちゃうんですね。地元の子らが入ってこなくなっちゃう。もう、このチームはウチの子にはハードルが高いと勝手に判断されたら入ってこなくなる。入ってこなかったら、僕らもやることがなくなるから、ここを履き違えたらダメだぞとコーチらとも話しています。いかに、この子らを野球が好きでいさせて、僕らは基礎だけちゃんと教えて、中学以降はいい指導者にバトンタッチしていく。
たまたま数年前(2016年)にね、そのとき育ててきた子らがビューンと勝ってくれた(東京都新人戦優勝)から、僕らもいろんなところ(監督たちの集まり)で飲めるようになったんですけど。でも、ここは絶対履き違えたらダメだぞと。勝ちにこだわり始めたら、今の子らは小学生のうちに潰れてしまいます。
【4】
選手の将来を第一に、小中学生に教えること
(写真:北原少年野球クラブでは、アップとクールダウン、ストレッチを、どこよりも時間をかけておこなっている。それが選手の未来につながる。これは「練習おじゃま日記」でも取り上げました)
--この間、細田健一監督(現・3・4年生担当)に取材したとき、北原では練習が始まる前のアップ、終わった後のストレッチを、どこよりも時間をかけてやるという話を聞きました。それは、なんといっても、大事なことだと思うんですね。小学生のうちに肩・ヒジをこわしてしまうことを防げるんですね
立石 自分は高校のときに故障で1年間を棒に振っちゃったことがあるんです。まったく医学的な知識もないから、専門家のセミナーを今でも聴きに行くんですよ。この間行った神奈川県のセミナーは聴講者500人の半分くらいは医療の現場で働いている方でした。質問でも、何だ? その専門語、というのが飛び交うんですよ。
去年、学童野球に球数制限というのが導入されたので、われわれ野球関係者の質問はそこに一点集中するんです。ビックリしたのが、ベイスターズのチームドクターの方で横浜南共済病院の山崎(哲也)さんという方の話で、野球ヒジで「ねずみ」というのがあるじゃないですか。これはサッカー選手にもあるんですよ。そして、これは遺伝するんですって。たとえば、双子の一人がなったら、もう一人もなるんです。
それでね、皆さん、子どもに受動喫煙させていませんか? と聞かれたんです。親が子どもの隣で喫煙していると、副流煙が血流を悪くするんです。100パーセントなるわけではないけれど、そういうのは脈々と悪くなるんです。ウチのコーチはプッカプッカ吸っていたんですが、その講演を聞いて帰って、ほかのコーチたちにも教えたら、タバコやめましたよ。熱い親しかコーチに入ってこないんで、そういうことを聞いたら真剣にやめるんですが。遠征の車の中でも吸う人がいるわけですけど、それ(副流煙)はよそ様の子どもにも吸わせることになるんです。
参考ホームページ(https://medicalnote.jp/contents/161116-002-IR)
--吸っている本人はフィルターを通しているけど、周りで吸わされる受動喫煙は直接入ってくるんですね。僕も昔は吸っていたけどやめて。立石さんもよくやめられましたね
立石 きっぱり捨てました。心臓発作をちょっと起こしたことありましたから。あれはホント、ビックリしましたね。自分はピッチャー経験ないし、ピッチャーの体というのもわからないので、ケガを予防するにはどうしたらいいのか知りたくて、ああいうところに顔を出しているんですよ。ホームページ見たら神奈川県以外の人も受け付けますって。そうしたら東京の知り合いもいっぱい来ていて。世田谷の給田少年野球クラブというチームがあるんですね。そこの小林さんと僕の2人で5回質問したら、もう司会者イヤな顔して(笑)。また手を挙げとると思って、他の人を目で探している。それでも、しつこく手を挙げて、最後の時間ギリギリでもまた挙げて(笑)。
早稲田大学の大学院の方が、球速だとか回転数だとか、いろんなデータがあるんですけど、小学生の間なら球速は度外視して、いちばん結果が出るのは回転数だというんです。これがいちばんいいですよというのをデータとして見せてくれて。回転数を上げるにはどういう練習がいいんですかと聞いたんです。写真で教えてくれたのは、メディシンボールを投げましょうというもの。でも、メディシンボールは小学生には重いからやめましょうと言うんですね。あれ? と思ってまた手を挙げるわけです。いや、メディシンボールは中学生以上で、小学生は肋骨のストレッチがいいのだと。興味あるので教えてくださいって言ったら、何個か教えてくれましたよ。
僕、いま56歳なんですけど、水飲むな、うさぎ跳び全盛時代で。こんなこと教えてもらえなかったですよ。いまはムッチャ大事やなと思います。
(写真:野球を中学から始めたばかりの野球部員にはもちろん、選手たちには常にキレイで、正しい投げ方を教えるのが一ノ瀬先生流。これは「真下投げ」。自然とヒジが上がることを体感できる)
一ノ瀬 ワールドウイングという、初動負荷のトレーニングジムがあるじゃないですか。イチローさんなどが使っている。そこの小山裕史さんという方の本を読んでいたら、その中に肩甲骨と股関節を連動させてストレッチをするというトレーニングがあって。2人1組でやるんですが、ストレッチする人は、両手を上げて仰向けに寝っ転がります。補助の人は両足で相手の両手を挟み、両脇下の前鋸筋、広背筋あたりを両手で押さえます。ストレッチする人が片足を反対側にひねると、押さえられている両脇の下、前鋸筋、広背筋が伸びるんです。どうしても指導者は「ヒジ上げろ」「肩上げろ」と言うけれど、意識すると上手にできないじゃないですか。ここをストレッチすることで、自然とヒジが上がってきます。鉄棒にぶら下がり、両足をベルトの高さまであげ、体を左右にひねることでも同じ効果が得られると感じています。
--両脇下の筋肉を柔らかくすることで、ヒジが上がっていくんですね
一ノ瀬 僕は練習で「ヒジ上げろ」とかあんまり言わないんですよ。先ほど言った、ワールドウィングのストレッチや、鉄棒にぶら下がるトレーニング、ストレッチをやります。鉄棒のストレッチは筑波大学(硬式野球部監督。筑波大体育系准教授)の川村(卓)先生に教わりました。3年前かな、上一色中での勉強会に川村先生が来てくれて、本も買ったんですけど。これいいなと思って。そのストレッチをダウンで必ずやるんですよ。そうすると投げ方もキレイになっていく。僕が教える子って、投げ方がキレイじゃない子はあんまりいないんですよ。みんな上手になっていくんです。キャッチボールもそうですけど、そのストレッチは効果あるなと思って。どこの学校に行っても、それを教えるようにしているんです。
立石 僕らもわからないなりに、こうやって一生懸命やってるんですけど、でも子どもたちからしたら、次は中学そして高校、その先とこれからも続いていく野球ステージで、選手として求められていくからには、これは絶対に必要なことだと。そういうのを他のチームのスタッフたちにも気づいてほしい。気づいていないこともあると思う。
一ノ瀬 大事なのは球速じゃないというのも、まさにそうですよね。
立石 不動パイレーツなんて、まさにそういうチームですよ。どのピッチャーも回転数、アウトコースの出し入れが素晴らしい。毎年おんなじフォームの子を育成しています。
--ボールの回転数を上げるためには、どこを鍛えるんですか
立石 その早稲田大学大学院の人によると肋骨、肩甲骨。まあ全体のバランスなんでしょうけど。
--腕だけでなく、そこにつながっている肋骨、胸骨、肩甲骨。そこを柔らかくすることによって、腕もしなるわけなんですか
立石 タオルを使って、こう(シャドウピッチングなど)。
一ノ瀬 あれ、いいですよね。
(写真:2017年の全日本学童大会で北海道勢初の優勝に輝いた「東16丁目フリッパーズ」。笹谷武志監督は無闇に怒らず、あくまで野球は楽しく、子どもは子どもらしく、をモットーに指導する)
立石 話は変わりますけど、この間(2019年)の明治神宮野球大会は北海道の白樺学園が準優勝でしたよね。
--エースの片山楽生(らいく)は横浜スタジアムの全国大会(2017年の全日本少年軟式野球大会)で取材したんですが、中学(音更町立共栄中)時代からすごい選手だったそうです
一ノ瀬 白樺学園の監督も駒大苫小牧の香田(誉士史)監督に影響を受けたみたいで。面白いですよ、中村計さんが書いた駒大苫小牧の本(『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』)、あれメチャクチャ面白くて、何回も読み直したくらい。そこには香田さんの影響を受けて、北海道の若い指導者が刺激をもらって、すごく成長してきたという話が書かれていました。その流れに白樺学園もあるようで。
立石 学童野球でも2017年に全国優勝した東16丁目フリッパーズが北海道ですね。笹谷武志さんという監督さん。その翌年、辻正人さんの多賀少年野球クラブ(滋賀)と全国大会で試合したので、僕も神宮に見に行ったんですけど、あの二人すごいですよね。いっさい怒らないんです。俺だったら切れるやろと思うようなプレーしてもいっさい怒らない。辻さんは「子どもに怒ってもしゃあない、やっぱりストレスフリーがいいよ。あいつらがいかにやりやすい環境を僕らが作ってあげるか」と言っていたんです。すげぇなこの人は。辻さんにはパネリストとして東京に来ていただきました。深井さんがお膳立てしてくれて。しゃべり倒しですよ。でも、大事な野球のことを聞こうとしたら、ほにゃほにゃほにゃ…となるんですけど(笑)。
一ノ瀬 どこのチームですか。
立石 滋賀県の多賀少年野球クラブ。
--楽天の則本昂大の出身チームなんです
立石 背番号14(則本の背番号)はいちばん皆が欲しがるみたいで、今年は女の子がつけているんですが。聞いたんですよ、あれどうやって決めているんですか。そうしたら辻さん、あれジャンケンですって。みんな真剣らしいです、14番欲しいから。
(写真:北原少年野球クラブの保護者たちは、自分の子どもがチームにいる間は、教える側でなくサポート、応援する側に徹している。自分の子をコーチするとなると、つい熱くなりすぎるのだ)
一ノ瀬 初心者には敷居を低くしてあげるというか、そういうことも野球部にはいま必要かなと。僕はいま、八坂のときみたいに厳しくやっていなくて、そんなに怒らないんですよね。八坂のときは、けっこう怒ってましたね。勝負にこだわっていましたから。緊張感もありました。緊張感の中にも楽しさというのはすごく意識していました。卒業生で、高校に行って野球部をやめてしまった生徒もいたんですが、指導者がすごく厳しかったらしいんですね。精神的に耐えられなくて、やめちゃって。やめた後に僕のところに来て、「八坂中も厳しかったんですけど楽しかったんです。でも、その高校の野球部には楽しさというのがなくて耐えられませんでした」と。僕は「それだけの厳しさを覚悟して行ったんじゃないの?」と言ったんですが…。厳しさと楽しさの両立って、難しいんでしょうかね。
立石 今のコーチとも話しているんですが、自分の息子に対して指導するときは、どうしても熱くなるんですね。私の経験ですが、自分の息子が卒業してからのほうがバランス良く見られるようになるんですよ。私は、息子が卒業してからのほうがチームに関わる時間が長いんです。今でも、選手のお母さんが言うんですよ。「ウチの父親は怒り出したら止まらない、どうしたらいいんですか」と。「息子もいずれ 父親の気持ちもわかるようになるから、今は あなたが支えてあげてくれ」と言ってます。
実は僕、自分の次男が北原でやっていたときはゴルフに狂っていて、息子には見向きもしなかったんですけど、「それと比べると偉いと思うよ」と(笑)。
一ノ瀬 立石さんのチームには選手はどれくらいいるんですか?
立石 たぶん、いま50人くらいですね。今の6年生が9人、5年生が8人、今僕が見ている4年生が15人、3年生が8人、そこからちょっと少なくて、2年生が5人、1年生が3人かな。そんな感じです(2020年1月時点)。
一ノ瀬 どうやって勧誘しているんですか?
立石 勧誘って言っても、決まった校区の子しか入れないので。体験会は年2回あるんです。昔は保護者とのバーベキュー大会を兼ねて、谷原中のグラウンドで体験会もやったんですけど、今は火を使ってはいけないので……。ウチのチームに入れるのは2校なんですよ。谷原小学校と北原小学校。北原小はチラシを配れるんだけど、谷原小は校門の前で配ってはいけないので、親御さんたちが工夫して宣伝しています。僕らコーチは仕事があるので行けないんですが、実績が出てからは、ウチのホームページを見て入部してくるケースも最近増えました。そうしたら、遠い町に住んでいた子がウチの学区に引っ越してきて、北原で野球をやりたいと。その子の住む町にも、いいチームはあるんですが。
一ノ瀬 練馬の中学にも毎年安定して強いチームがあります。その中学校は生徒の人数が少なくて、学年2クラスしかないんです。1クラス40~50人くらい。でも野球部には部員が安定しています。実はここの指導者は教員じゃないんですね。外部指導員ですが、長年やっている人です。僕が中学生で、開進三中野球部にいたときから監督やってたくらいですから。
--あと、練馬では田柄中が強いんでしたね
一ノ瀬 学童では田柄ロイヤルズでしたっけ。
立石 田柄ボーイズも強いです。昔ヤクルトや西武でやっていた苫篠さんの息子3兄弟が田柄ボーイズにいまして。奥さんの松本典子さん(元アイドル)もお当番で来ていますよ(笑)。
--あ、いわゆるトマピョンですか?
立石 そうそうそう。
--笘篠賢治さんは僕も取材したことあります。現役のときではなく引退した後。10年くらい前でしたね。田柄ボーイズからは、だいたいの選手が田柄中に入るんですか
一ノ瀬 田柄中は毎年それなりにいい選手が入ります。先生も野球ができる方がいるので。
でも北原さんも、それだけの人数が集められるなんて、すごいですよね。
立石 実は、もともと2つの小学校にそれぞれあったチームが、自分たちで運営できなくなって合併したんです。もう来年40周年になるんですけど、常に2校から入ってくれるのがデカイですよ。
一ノ瀬 僕も練馬出身なので、いろいろなチームを知っています。僕が小学生のときに在籍していたのは練馬レッドサンズです。開進第三小というひとつの小学校に桜台サンバード、アニマルズと3チームあったんですね。
でも、学童野球チームは人を集めるのってなかなか難しいですよね。それでも北原さんは魅力ある活動をしているから集まるわけですね。それから、さっきも言ったように、人を集めるには、敷居を高くしすぎないこと。野球ってやっぱり敷居が高い競技なんですよね。今は中学で部活をやりたいという生徒がまず選ぶのがテニス部、バドミントン部、それに卓球部。これらの部活は人数が多いですし、それは、やっぱり手軽だからなんですよね。
--ラケット一つあれば始められて手軽なんですね。それに比べると、野球は用具が多いこともネックですか
一ノ瀬 そうですね。それに厳しいとか、坊主じゃないといけないというイメージがあるから。そういう障壁をどんどん取り除いていかないとダメなんですね。絶対良いスポーツだから、少しでも多くの子どもにやらせたいんだけど、始めるまでのハードルが高いわけですね。そこを何とかしたいですね。
【5】
子どものステージを上げるために大人がいる
(写真:小学生の学童野球チームと、地域の公立中学野球部が同じグラウンドで同じ練習に取り組んだ「合同練習会」。上板橋第一中の選手たちは少し先を行く先輩として後輩たちを優しく指導した)
立石 サッカーは、幼稚園の頃から青田買いするというじゃないですか。サッカー協会の指導免許を持ってるコーチがいるから、とかいろいろアピールして(注:あくまで個人の見解です)。野球は親が当番はせなあかんわ、休みの日は一日中拘束されるわで、イメージは良くないですね。でもサッカー部の練習は一日2時間で終わり。というのがあってお得感あるように感じられるかもしれないけど、野球はどうしても上手くなるのに時間がかかりますもん。
一ノ瀬 世界的に野球が普及しない要因の一つは、やっぱりそこなんですね。
立石 ある程度金銭的にも、家族のサポート的にも、余裕のある家庭しかできないんじゃないでしょうかね。
--今度、新しい新競技をオリンピック種目候補として考案しましたよね。(https://www.nikkansports.com/baseball/news/201803030000091.html 五輪に5人制「手打ち野球」? 新競技を世界に普及)
昔なつかしいハンドベースボールって、こんな感じじゃなかったでしたっけ?
立石 昔やりましたよね、手打ちの野球。なつかしい。
一ノ瀬 幼稚園児とか小学校低学年の子たちとか、そういう感じで野球に触れ合ってくれたら…。
立石 うれしいですよね! ティーボールみたいなものもありますけど。手軽ですものね。小さい公園とかでも気軽にできるような野球ですから。
一ノ瀬 今の中学校(上板橋第一中)に来て今年2年目なんですが、また野球部を持てるようになったので、そういう初心者にも楽しめるようなこともやりたいと思っています。この間(2019年7月、上記の写真参照)は地元の小学校のチームを誘ってやったんですけど、やったことのない子たちにもやれるようにしたい。「中学生が面倒見ますよ」みたいにやって、そうすると地域の人たちも安心するじゃないですか。「あ、中学校ってこういう雰囲気なんだ」「優しいお兄ちゃんが親切に教えてくれるんだ」と思ってもらえたら、中学校に対する安心感にもつながる。安心して行かせていいんだなと。「野球部は、こんなふうにやってるんだな」と思われるような活動とかも、今はしたいなと思っているんですけどね。
立石 板橋でなく練馬でやってくださいよ(笑)。ウチのゾーンで。
--でも、学校の先生の宿命かもしれないですけど、野球の経験があっても、野球部を担当できるとは限らないんですよね。一ノ瀬先生も上板橋一中で、最初の年は陸上部…
一ノ瀬 去年はそうでしたね。教員になって初めて土日も休みだったんで、仕事は楽だったんですけど。でも…。
立石 土日、野球がないと、僕らも翌週の仕事(立石さんは会社員)がきついですものね。もう、子どもたちがリフレッシュさせてくれますものね。よそ様の子ですけど、パワフルに。月曜から金曜は働いて、しんどいんだけど、土日になったら(笑)。不思議なんですけど。
一ノ瀬 今日なんか久々に8人で練習をやれたので、もう最高! この間まで2人だけだったのが、先々週から4人になり、今日は3年生も卒業生も集まってくれて。
--卒業生もよく来てくれましたね。でも、一ノ瀬先生が上板橋一中に来たばかりのときは、野球部で教えていないんじゃないですか
一ノ瀬 野球は教えていませんけど、授業は教えていました。今の高校1年生の子は僕が前任だった町田南中の最後の年の3月、もう少しで出る(異動する)よというとき、下町杯という大会が江戸川の河川敷であって、町田南対上板橋一中の試合が組まれていたんですよ。(主催者の)西尾先生(上一色中)や、下村先生(足立九中)、木村先生(西葛西中)が「一ノ瀬先生、新年度からそこに異動するんでしょ? 組み合わせ入れといたか ら」って(笑)。あと1ヶ月で僕はそこに行くというとき。町田南のベンチから怒鳴り散らして、上板橋一中の子たちには「怖い先生がいるなあ」と思われただろうけど、結局僕は赴任しても野球部は持てなかった。すでに先生がいらっしゃったからなんですけど。なのに今日、あのときの野球部員の卒業生は、本当によく来てくれました。王子総合高校に行っている子と、都立豊島高校の軟式野球部にいる子でした。2人とも野球を続けていて、後輩たちの練習を本当によく手伝ってくれました。今度卒業する3年生の一人は、練馬高校に行くんですけど。
立石 え? マジ?
一ノ瀬 あと、もう一人は大東文化第一。本当に久しぶりに盛り上がった練習ができて。
立石 もうちょっと、(ここに来る前に練習を)やっておきたかったんじゃないですか(笑)。
(写真:対談中に一ノ瀬先生が見せてくれた八坂中野球部の記念アルバムから。保護者からプレゼントされた手作りのものだという。写真は夏の都大会、延長13回を戦った準々決勝・東葛西戦)
--板橋の中学校は部活動時間に制限がかかっているんですか
一ノ瀬 一応は週5ですよね。平日1日は休み、土日はどっちか休みなさい。でも板橋区は比較的厳しくなくて、土日どっちもやってもOK。ウチもそうしているんですけど、うるさい学校は…。高校もそうですけど、土日どっちか休みなさいって。
立石 学童も球数制限とか、練習試合も年間100試合以内に抑えなさいとか、一日の練習は3時間以内とかね。一応ガイドラインがありますけど、3時間で何ができるんですか?
一ノ瀬 練習試合ができないです。
立石 遠征もできないし。
一ノ瀬 それって大人の都合なんですね。子どものことを考えていない。働き方改革で、そんなに働きたくない、部活やりたくないという人もたくさんいるわけで、嫌々言いながらやっている人たちが訴えるわけですよ。労働基準法がどうのこうのと。土日は最低賃金みたいな給料しかもらっていないですから、3時間の最低賃金しか…。
立石 ちゃんとフォーカスしてあげないと。
一ノ瀬 そう! それでも一生懸命野球を教える大人がいて、子どもたちが幸せになれるのなら。
立石 そう! そうしたら、いい循環になってくるし。でも1週間ずっと寄り添っている先生たちはすごいですよね! 僕ら学童野球は正直、土日だけなんで。
一ノ瀬 (アルバムを出して見せて)立石さんの教え子、佐渡の代の保護者が私にプレゼントしてくれたんです。
立石 佐渡、林、谷津(龍汰)。今別府(練太郎)もいましたね。大村晃平、喜早という子らも。いやー、いいなあ。子どもが笑顔というのがいいですよね。一ノ瀬さんの愛を感じます。
一ノ瀬 愛があふれていたんですね。
立石 小学校低学年の子なんかね、何やこの関西弁のうっとうしいおっさんはって思っているでしょうね。大村晃平は親が関西なんで、すっと入ってくれましたけどね。指導者から見たらね、都大会の風景を見せてあげたい。
一ノ瀬 僕は自分が中学生のとき、都大会に出ていないんです。教師になって、子どもたちに出させてもらったから。ああ、こういう景色があるんだと。
立石 僕も本当に…。まさに。
一ノ瀬 そうなんです、広い海をこいつらに見せてあげたい。駒沢も感激しました。駒沢を見せてあげたいというのがすごくありました。
(写真:2016年の東京都新人大会で優勝した北原少年野球クラブ。それまで秋2連覇中だった不動パイレーツを破っての快挙。決勝後にかたい握手をかわした深井監督=左、立石監督)
立石 学童も5年生のときの都大会新人戦、最後のベスト4・決勝が駒沢なんです。そこで4年前にたまたま優勝できて。実は深井さん(不動パイレーツ)のおかげなんです。
本当はウチ棄権になるはずだったんですよ。一生懸命やって初めて新人戦の都大会に出られたのに…。都大会は9月の終わりごろ始まるんですが、初戦が学校の運動会と重なっていたんですよ。ベンチに10人いないと参加を認めてもらえないんですが、運動会で出られない選手をのぞいたら7人。あきらめました。そこで深井さんに相談したんです。1回戦の相手が大田区のチームだったんですけど、そことは3年生の都大会のベスト4で当たっていて、そのとき勝って優勝しているんです。
深井さんは真剣に聞いてくれました。「相手チームの小学校でも運動会やっているはずだから調べろ」と。調べてみたら、そこのチームが通っている小学校でも運動会をやっていました。だから「相手も棄権するかもしれないから、先走るな」と。でも、棄権するのは嫌だから運動会を休めとは言えません。僕が言っちゃうとチームとして強制することになるから「お前は絶対に言うな」とチーム代表にいわれて。悶々としちゃって。もうあかんわ、期限切れ。
前日の夕方6時に会社に行って、保護者に一斉にメールを出しました。「残念ですが、明日は棄権します」と。すると、8時頃に3人の選手の親から電話が来て「明日は運動会を休ませます」。それで、人数が足りて、試合できることになりました。
当日、担任の先生にお話ししたら、「リレーまでに来てくれればいいですよ」と快く送り出してくれて、ありがたかったです。深井さんは「立石、もしダメ(棄権)だったら、戸田橋の本部席に行って謝ってこい。そうしないと自分たちの連盟から来年出場するチームに迷惑がかかるから、それはやってこい。腹くくって」とまで言ってくれました。でも、運動会休んでくれたおかげで、その後も勝ち上がるんですよ。
1試合1試合がうれしくて、最終的に駒沢で深井さんの不動と決勝を戦ったんですが、もう、不動のベンチを見られないですよ。こうやって、柱の陰で、(元広島カープの)古葉竹識監督(現在は公益社団法人少年軟式野球国際交流協会理事長など)じゃないですけど、ずーっと隠れていて。見られない(笑)。最終回まで2対3で負けていたけど、7回オモテに3点取って逆転。でも、その裏のツーアウトから1点取られるんですよ。5対4。最後はピッチャーゴロで抑えるんですけど。もう、深井さんには頭が上がらない。
そのあとも深井さんは、東京都の学童野球の重鎮の人たちのところに僕を連れて行ってくれました。「立石来い」って飲み会に誘ってくれて。ウチが今いろんな大会に出られるようになったのは、あの人のおかげです。すごいっすよね、あの人、本当にすごいですよ!
一ノ瀬 上一色の西尾さんも同じような人です。
立石 そうですよね。どうやったら、僕らがああいう人脈を作れるか。それによって子どもたちのステージも上がるんですよね。次のステージに行ったから、声かけてもらえますけど、そこに行かなかったら。まったくないじゃないですか。
一ノ瀬 そこへ持っていくための努力も必要ですよね。持っていってから、の努力も必要。野球だけでなく横のつながりだったり、人のつながり。人間としての力が試される。
立石 あ、人間力ですね(笑)。
(写真:町田南中学校に高校卒業の挨拶に来た八坂中野球部の同期。
右から谷津翔汰(龍汰の弟)=練馬高校、大村晃平、今別府練太郎=大泉高校、しゃがんでいるのが工藤雅也=文京高校、その隣が一ノ瀬先生、メガネの荒井俊太郎は裏方としてこの代を支えた。隣が大塚正喜=武蔵丘高校、渡辺仁、小川晶太郎らは北園高校の軟式野球部でそれぞれ活躍した)
一ノ瀬 ちょうど2週間くらい前に成人式が池袋でおこなわれたんですけど、八坂中で最後に卒業させた子たち。90何人いたんですけど、そのうち8割くらいの75人の子たちが集まってくれて。野球部も8人がみんな来てくれて。その代は都大会に行けなかったんですけど、いいチームでした。僕も学年で3年間担任を持っていて、大好きな学年でした。優しいし、僕の気持ちもわかってくれて、響くんです。
立石 林の手紙を写真に撮っていいですか? 親父に送ってやろう思って(笑)。
一ノ瀬 実は私、3年前に東京都から表彰されたんですよ。東京都の部活動を頑張っている先生に与えられる「グッドコーチ賞」。第1回は西尾さん、私の母校・武蔵丘高校野球部時代の恩師、田河先生。私は第2回目の表彰でした。受賞者は一人だけじゃないんですが、軟式野球の人は全東京都で5人くらいしかいなくて。それはすべて八坂の子たちのおかげ。受賞した当時は町田に異動していたんですけど。八坂での功績が認められたみたいです。
立石 多賀少年野球クラブは、スポ少で準優勝、全日本でも連続優勝。28年くらいやってるんですけど、あんな過疎の町に子どもなんか来ないでしょ、という場所でやってるんです。辻さん、あの人すごいなと思うのは、マネジメント力。一例ですが、子どもを集めたいって言って、地元の美容室とタイアップしているんです。多賀の子が来たらタダにさせる。多賀少年野球のホームページに出ている子どもたちはサラサラヘア、女の子は化粧している。その写真を、あえて彼はアップするんです。お母さんは息子を坊主頭にさせたくないというのがあるじゃないですか。それをやった年に数十人入ってきて、今60人。このおっさん、すごいなと思った。
その後も実績をガーッと上げていくんですが、あるとき一人の母親に練習を半日にしてくれと頼まれて、土日は半日練習にしたんです。すると6年の母親たちに「何でウチの子たちの代に半日にするんですか?」と反発を食らうわけです。でも、あの人すげぇなと思ったのは、子どもたちをメチャメチャ楽しませる野球を目指しながら、しかも勝つと言ったんです。半日にしても「俺は全国に行く」と宣言するんですよ。そんで、初めて全日本で優勝するんです。去年は、前年度優勝枠で出たんですが、「去年と全然チームが違うし、1回戦で負けるから」と言っておきながら優勝するんです。ここがおもしろいところなんです。俺は真剣だ、今も一生懸命やってる。半日で60人の練習をさせるんですが、監督の辻さん入れて、何人のスタッフでやってると思います? 学童野球ですよ。
一ノ瀬 5人くらい?
立石 まさに! 辻さん入れて5人なんです。半日にしても。6年生は午前中の半日で終わる。午後は低学年になるわけです。でも5人しかいない。たぶん一ノ瀬さんと一緒だと思いますが、親コーチを認めないんです。でしょ? でしょ? コイツいいなと思っても、すぐには親コーチに入れない。「ホンマにやりたいと思ったら、子供が高校卒業してからおいで」。そこから初めてスタッフになれる。あの人のマネジメント力は徹底している。5人で各学年を見ないといけないのに、普通なら、半日でもできないよね。
一ノ瀬 おいくつくらいの方なんですか?
立石 たぶん、僕よりちょっと下ですね。
--もう50にはなってますね。二十歳のとき自分で作ったチームだと言っていましたから
立石 もう30年ですね。近江高校で野球やってて。教え子も近江に行ってますね。
--たしか、次男が履正社
立石 今年のエースの辻君というのが甥っこで、今年の阪神タイガースジュニアのピッチャー。
一ノ瀬 ジュニアに選ばれるには、何かセレクションみたいなものを受けるんですか? 誰でもセレクション受けられるわけではなく、推薦が必要なんですか。
立石 各球団がセレクションを実施しますが 在京球団の中でヤクルトジュニアだけ5年生も参加出来るんです。ジャイアンツジュニアは セレクションに加え ジャイアンツアカデミー、東京の重鎮から有力選手情報を収集しているみたいです。うちからも一人ジャイアンツジュニアに選出してもらいました。セレクションと高野山大会の日程が重なり、一次選考会免除。二次選考はヒット一本で合格! その後も免除でした(笑)。
一ノ瀬 中学校の野球部で野球をやる意味が何かと言うと、もし、子どもたちが自分自身で一生懸命になれなかったとしたら、卒業してから困ることになる。中学生って、まだ自主的に取り組んだり、自分でリーダーシップ取ったりというのは、教えなければできないじゃないですか。僕が開進三中の野球部でやっていたときは、教えてくれる先生がいなかったので、自分でノック打ったりして、やってたので、こうやればいいじゃんというのが自然と身についたんですけど。だから中学の野球の練習って、こんな感じなんだよと、子どもたちの頭の片隅にちょっとでも残ってくれたら、自分が教える立場になったときに、引き出しとして増えるかもしれない。
立石 メチャメチャ大事なことです。
一ノ瀬 だから別に自分が3年間面倒見るとか見ないとか、そんなちっちゃな話をしているわけじゃなくて。なんか自分の人生のなかで、たった一日の出会いかもしれないけど、あっ、こんな出会いがあったな、とか、こんなことしたなというのを彼らの人生の中で何か財産になってくれれば。
立石 少なくても、僕には財産になってますから(笑)。6年前のことが。普通だったらあそこで、イヤイヤイヤってなるじゃないですか。だから感動しましたよ。
一ノ瀬 数年前だったら、そうなっていたかもしれないですよ。僕は、成長するって、人の痛みがわかるかどうかということだと思っているんです。いろんな人の痛みがわかると、いろんな配慮ができる。こうしたら喜んでくれるんじゃないかとか、それが成長じゃないかなって。自分が失敗しないと、その痛みはわからないじゃないですか。
立石 まあまあまあ。
一ノ瀬 フェイスブックでつながっていることも、今日の再会につながったのかな。
立石 近藤さん、もう締めたがっているみたいですけど、ホント感謝しています。今度、ヒロムも喜早も大村も連れてきますから、北原のグラウンドに一ノ瀬先生にぜひ来てもらいたい。明日でもいいですよ(笑)。
【おわり=つづきは、グラウンドで!】
一ノ瀬先生は最初は民間企業に就職。思い立って教師になったのが27歳だった
立石監督は高校まで野球、大学ではヨット部で活躍、いまは北原に欠かせない指導者だ
楽しい対談をありがとうございました!